塚本俊樹

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*現在の[[マジック違反処置指針]]の基準では[[遅延行為]]と判断されかねない程である。
 
*現在の[[マジック違反処置指針]]の基準では[[遅延行為]]と判断されかねない程である。
 
*不利なマッチアップでも序盤から長考を繰り返すおかげで、あと少しで引き分けになるところを1勝1分け(時間切れ)で勝つ事が少なくない。
 
*不利なマッチアップでも序盤から長考を繰り返すおかげで、あと少しで引き分けになるところを1勝1分け(時間切れ)で勝つ事が少なくない。
 
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*最初から有利な1戦目で勝ちを拾いつつ、2戦目は時間切れ引き分けをねらったいわゆるマリーシアが得意であり、1戦目を負けてしまった場合は、今まで長考していたのが嘘のような超速プレイを展開したこともある。
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*また、組長との決勝戦で卑屈な幽霊に解呪をうち呪文のターゲットになったので死んでくださいと言うなど、勝つためにはかなり汚い手も使うステューピッドなタイプのプレイヤーである。
 
[[RPGマガジン]](後の[[ゲームぎゃざ]])の「マジックの鉄人」においては力の鉄人とされ、後に名誉鉄人に。[[マジック]](というかTCG)の知名度がまだ無かった時代に、ゲームの紹介という事でテレビの情報番組に出演した事もある。
 
[[RPGマガジン]](後の[[ゲームぎゃざ]])の「マジックの鉄人」においては力の鉄人とされ、後に名誉鉄人に。[[マジック]](というかTCG)の知名度がまだ無かった時代に、ゲームの紹介という事でテレビの情報番組に出演した事もある。
  

2011年6月30日 (木) 08:15時点における版

塚本 俊樹(つかもと としき)は、日本マジックの黎明期から活躍する、初期の日本のマジック界を代表する人物。

日本選手権The Finalsで幾度となく優勝し、当時の日本最強プレイヤーであると同時に有名プレイヤーの先駆けと言えるだろう。その数々の戦績から「チャンプ」「チャンプ・トシキ」と呼ばれた。海外勢からは畏敬を込めて「ジャパニーズ・レジェンド」とも呼ばれる。

プレイスタイルの特徴は長考と沈黙。墓石ウィニーとの戦いで実に各デュエル1時間、計3時間(決勝全体で9時間)を考え抜き、勝利一歩手前まで行った。絶望的な相性差をここまで互角に戦ったのは流石である。ちなみに野試合でもとても長考するので、賑やかなプレイヤーには揶揄されたりしていたそうだ。

  • 現在のマジック違反処置指針の基準では遅延行為と判断されかねない程である。
  • 不利なマッチアップでも序盤から長考を繰り返すおかげで、あと少しで引き分けになるところを1勝1分け(時間切れ)で勝つ事が少なくない。
  • 最初から有利な1戦目で勝ちを拾いつつ、2戦目は時間切れ引き分けをねらったいわゆるマリーシアが得意であり、1戦目を負けてしまった場合は、今まで長考していたのが嘘のような超速プレイを展開したこともある。
  • また、組長との決勝戦で卑屈な幽霊に解呪をうち呪文のターゲットになったので死んでくださいと言うなど、勝つためにはかなり汚い手も使うステューピッドなタイプのプレイヤーである。

RPGマガジン(後のゲームぎゃざ)の「マジックの鉄人」においては力の鉄人とされ、後に名誉鉄人に。マジック(というかTCG)の知名度がまだ無かった時代に、ゲームの紹介という事でテレビの情報番組に出演した事もある。

また自らカード・ショップ「オフビート」を経営していたが、現在では閉店している。

現在はマジックから遠ざかっている。日本選手権連続出場記録も2004年で途絶えた。

  • 1996年日本代表決定戦(現在の日本選手権)5回戦、「大魔神」船越長伸との1戦では、常識を超える引きを連発し、絶望的な状況から逆転勝利。そのまま勝ち進み初代日本王者に輝いた。その時の「スーパーサイヤ人のような引きだった」という発言は、今でもベテランプレイヤーの中で歴史に残る名言として語り継がれている。
  • かつてはBattle Techの日本チャンピオンでもあった。世界選手権97の会場にも稼台があったため、チャンピオンの腕前をみせてくれとみんなからせがまれていた。

主な戦績

代表的なデッキ

参考

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