トーク:盾持ち/Shield Bearer
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:ある情報が書かれていることは、多かれ少なかれ、読者にとって有益である可能性があります。それを削除してしまうことは、極言すれば一部の読者から有益な情報に触れる機会を奪っているということになりはしないでしょうか。(参考:[http://meta.wikimedia.org/wiki/包摂主義 「包摂主義」]) | :ある情報が書かれていることは、多かれ少なかれ、読者にとって有益である可能性があります。それを削除してしまうことは、極言すれば一部の読者から有益な情報に触れる機会を奪っているということになりはしないでしょうか。(参考:[http://meta.wikimedia.org/wiki/包摂主義 「包摂主義」]) | ||
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+ | 「ある情報が書かれていることは、多かれ少なかれ、読者にとって有益である可能性があります」などという考えの行く末に思いを馳せるべきだ、。 | ||
+ | 君はこのWIKIに書いてあるすべての漢字によみがなをふり、韓国語訳を1文節ごとに書き、エスペラントにも同様とし、またすべての感じの書き順について詳細に解説し、その漢字の由来を書くのだろうか。 | ||
+ | そのような無駄な文字列をすくなからぬナローバンドの人にダウンロードさせ社会のインフラを傷つけて平然としていることに気づくべきであろう。 | ||
+ | 猛省したまえ。 |
2008年3月2日 (日) 23:06時点における版
無駄の基準について
余談を復活させた者ですが、これを無駄話とみなした根拠は何でしょうか。確かに「面白い」という表現には語弊があったかも知れませんが、このページを見たことで、新規のプレイヤーが「過去にファイレクシアの盾持ち/Phyrexian Scutaというカードが活躍した」という知識を得ることができれば、それは無益ではないと思います。本文も短いですし、最下部に挿入する分には問題ないのでは?
個人的に該当部分の復活を強く望んでいるというわけではありませんが、新Wikiにおける「有益な余談」と「無駄話」の境界が気になるので質問させていただきました。--121.3.183.220 2008年3月2日 (日) 14:41 (JST)
日を浴びるルートワラ/Basking Rootwallaとルートワラ/Rootwallaのように関係性の強いカードならばともかく、名前の一部とカードタイプ以外全く関係のない2つのカードを結びつけるのは無理があると判断して削除しました。また「名前に関連性があるなら、他に関連性の薄いカードを記述してもよい」ことが許されると、極端に言えば「同じ忘却/Forgetを名に冠する忘却石/Oblivion Stoneはかなりの活躍を見せた。」なんて記述が罷り通ってしまうことになります。そして、そのような記述が増えてしまうとカード自身の解説が冗長極まりないものとなってしまいます。短いから許されるって問題ではありません。
また、これこそ余談になりますが、「余談」というのは余計な話、他の話と言う意味で、盾持ち/Shield Bearerの話で本当に有益な情報ならばそれは「余談」にするべきではないと思っています。--Gariu 2008年3月2日 (日) 19:00 (JST)
- 「余談が増えることによってカードの解説が冗長なものとなる」という主張には納得がいきません。情報をきちんと節に分けて整理し、重要な情報を前半部に記載するようにすれば、余談が記載されていることによって必要な情報が見つかりづらいということは起こらないと思います。余談が多くなったとしても、「その他」、「豆知識」などの節を設けてそこにまとめれば、それを不要と感じる人は見ないでしょうし、ページ全体が大きくなり過ぎるということであれば、目次を表示したりページを分割することによって解決できるはずです。
- 自分は、事実上無制限に情報を追加することができるWiki形式の辞書においては、少しでも関連性の認められる余談や寄り道は(それが正確で中立な情報であるかぎりは)大いに記載すべきだと思っています。これはGariuさんが挙げた「忘却/Forgetと忘却石/Oblivion Stone」の例についても同様です。
- ある情報が書かれていることは、多かれ少なかれ、読者にとって有益である可能性があります。それを削除してしまうことは、極言すれば一部の読者から有益な情報に触れる機会を奪っているということになりはしないでしょうか。(参考:「包摂主義」)
- --121.2.22.173 2008年3月2日 (日) 22:37 (JST)
消した奴とは別のものだが少し書いとく。 余談と称して与太書いてるのは、 "aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaabaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa" と”aba” この二つの文字列において「b」を見つけるのにかかる手間がコストである、そういう意識を持つべきだな。 これをひらたくいうと社会通念やら相当性ということになるわけだが。
それから「少しでも関連性の認められる余談や寄り道は(それが正確で中立な情報であるかぎりは)大いに記載すべき」 「ある情報が書かれていることは、多かれ少なかれ、読者にとって有益である可能性があります」などという考えの行く末に思いを馳せるべきだ、。 君はこのWIKIに書いてあるすべての漢字によみがなをふり、韓国語訳を1文節ごとに書き、エスペラントにも同様とし、またすべての感じの書き順について詳細に解説し、その漢字の由来を書くのだろうか。 そのような無駄な文字列をすくなからぬナローバンドの人にダウンロードさせ社会のインフラを傷つけて平然としていることに気づくべきであろう。 猛省したまえ。