石村信太朗
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「専用機」とも言える個性的なチューンを施された[[デッキ]]と、(主に[[リミテッド]]で)[[カード]]を対戦相手の方に向けてプレイする独特のスタイルで有名。 | 「専用機」とも言える個性的なチューンを施された[[デッキ]]と、(主に[[リミテッド]]で)[[カード]]を対戦相手の方に向けてプレイする独特のスタイルで有名。 | ||
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+ | 中学時代は他のカードゲームをプレイしていたが、その仲間から誘われてマジックを始めた。仲間が持ってきたは[[エキスパンション]]は[[トーメント]]であった<ref name="mana2020">『マナバーン2020』(ホビージャパン、2019年12月20日初版)p.44 ISBN 9784798620862</ref>。 | ||
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+ | マジックを始めてから半年程度が経過した頃、中学生までの大会であるジュニアトーナメントに参加。大会結果が雑誌『GAMEぎゃざ』に掲載され、そこに掲載された自分の名前が学校の競技志向のプレイグループの目に留まり、彼らとも関わるようになってからは地元の埼玉のショップや東京都板橋で開催されるローカルイベント「五竜杯」、PWC(Plains Walker's Cup)というローカルイベント(横浜地区で開催される数少ない公式トーナメント)に行くようになった<ref name="mana2020"/>。 | ||
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+ | その後カードゲーム系の仕事に誘われ、1年くらい働きながらプロツアーに出場していた時期もあった<ref name="mana2020"/>。 | ||
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*[[黒緑白ビートダウン#ローウィン=シャドウムーア・ブロック期|黒緑ドラン]] ([[グランプリ静岡08]] ベスト8) | *[[黒緑白ビートダウン#ローウィン=シャドウムーア・ブロック期|黒緑ドラン]] ([[グランプリ静岡08]] ベスト8) | ||
*[[青緑シフター|青緑ピクルス]](2007年埼玉県選手権ベスト4) | *[[青緑シフター|青緑ピクルス]](2007年埼玉県選手権ベスト4) | ||
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2019年12月28日 (土) 18:12時点における版
石村 信太朗(いしむら しんたろう)は、埼玉のマジックプレイヤー。
Magic Online上でもこのユーザー名を使用し、2010年にはMagic Online Championship Seriesにも出場している。
「専用機」とも言える個性的なチューンを施されたデッキと、(主にリミテッドで)カードを対戦相手の方に向けてプレイする独特のスタイルで有名。
目次 |
来歴
中学時代は他のカードゲームをプレイしていたが、その仲間から誘われてマジックを始めた。仲間が持ってきたはエキスパンションはトーメントであった[1]。
マジックを始めてから半年程度が経過した頃、中学生までの大会であるジュニアトーナメントに参加。大会結果が雑誌『GAMEぎゃざ』に掲載され、そこに掲載された自分の名前が学校の競技志向のプレイグループの目に留まり、彼らとも関わるようになってからは地元の埼玉のショップや東京都板橋で開催されるローカルイベント「五竜杯」、PWC(Plains Walker's Cup)というローカルイベント(横浜地区で開催される数少ない公式トーナメント)に行くようになった[1]。
グランプリ横浜03でサイクリングバーンメタとしてメインから波停機/Stabilizer(スタビライザー)を4枚積みした。あまりの物珍しさから対戦相手の藤田剛史は不審に思いジャッジを呼んだと伝わる。このことからハンドルネーム「ライザー/rizer」が生まれた[1]。
初めてのプロツアーはプロツアー神戸06だが、2勝4敗で予選落ち。初戦でRichard Hoaenと対戦した際にはプロツアーの凄さを思い知ったという[1]。
その後、様々な事情から大会遠征は控えいた。仲間と会う機会としてグランプリには行っていたがプロツアーの権利は得てもそれを行使しなかった[1]。
いよいよ引退しようかと思った時に引き裂かれし永劫、エムラクール/Emrakul, the Aeons Tornが発表され、石村は「こんなカードがでたのに引退なんかできるか!」とその気になった。競技シーンから離れていたため直後の日本選手権10では2日目のブースター・ドラフトで惨敗した[1]。
永らくまともに練習していなかった石村は彌永淳也にMagic Onlineを練習の場として紹介される。ある時は3日3晩何も食べずにプレイし続けるほどMOに熱中した。2010年7月から9月までMOに熱中し過ぎて実生活を持ち崩しかけたため、カードをすべて処分して、mixiやダイアリーノートのアカウントもすべて削除して、最後にこの大会だけ出場して引退しようとマジックオンラインチャンピオンシリーズ予選に出場したが、そこで優勝したため引退を思いとどまり、本戦にも進出してプロツアーパリ11の権利を得た。だが世界選手権11でデッキシェアした彌永が優勝したため、それで満足してまたもや表舞台から距離を置いて元のMO生活にもどった[1]。
その後カードゲーム系の仕事に誘われ、1年くらい働きながらプロツアーに出場していた時期もあった[1]。
2010年代後半から配信に重点を置くようになった[1]。