デモコンデス

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'''デモコンデス'''とは、[[Demonic Consultation]]を使用した際に指定した[[カード]]が無く、そのまま[[ライブラリーアウト]]で負けてしまうこと。
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'''デモコンデス'''とは、[[Demonic Consultation]]を[[唱える]]際に指定した[[カード]]が無く、そのまま[[ライブラリーアウト]]で負けてしまうこと。
  
大抵はキャストした際に[[ライブラリー]]のトップから取り除いた6枚の中に指定したカードが全てあったというケースである。
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大抵はキャストした際に[[ライブラリー]]のトップから取り除いた6枚の中に指定したカードが全てあったというケースである。そうなってしまっては、いくらライブラリーを捜しても指定したカードがあろう筈もなく、そのままライブラリーの全てが[[追放]]されてしまい、そのまま敗北してしまう。また狙ったカードがデッキに残っていたとしても、下から数枚のところにあったりして、[[ゲーム]]を続行できなくなってしまうようなケースもある。
そうなってしまっては、いくらライブラリーを捜しても指定したカードがあろう筈もなく
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そのままライブラリーの全てが[[ゲームから取り除く|ゲームから取り除かれ]]てしまい、そのまま敗北してしまう。
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また狙ったカードがデッキに残っていたとしても、下から数枚のところにあったりして、[[ゲーム]]を続行できなくなってしまうようなケースもある。
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いずれにしても実際にこれをやってしまうと、双方ともかなり虚しいこと請け合い。
 
いずれにしても実際にこれをやってしまうと、双方ともかなり虚しいこと請け合い。
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またこれが大きな大会で起こって、タイトルを左右された人間もいる。
 
またこれが大きな大会で起こって、タイトルを左右された人間もいる。
  
最も有名なものは1996年8月、アメリカ・シアトルで開催されたこの年の[[世界選手権96|世界選手権]]決勝戦での出来事である。
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最も有名なものは1996年8月、アメリカ・シアトルで開催されたこの年の[[世界選手権96|世界選手権]]決勝戦での出来事である。当時([[Jon Finkel]]や[[Kai Budde]]よりも前に)「最強」と謳われた[[Mark Justice]]は、念願のタイトルまであと一歩のところまで来ていた。決勝のテーブルに三つ揃えのスーツで必勝を持って挑んだMarkであったが、1ゲームに2回も[[Demonic Consultation]]をプレイしてしまい、結果として勝てるはずのゲームを落とし、目標にしていたタイトルを目前で逃すこととなってしまった。
当時([[Jon Finkel]]や[[Kai Budde]]よりも前に)「最強」と謳われた[[Mark Justice]]は、念願のタイトルまであと一歩のところまで来ていた。
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決勝のテーブルに三つ揃えのスーツで必勝を持って挑んだMarkであったが、1ゲームに2回も[[Demonic Consultation]]をプレイしてしまい、結果として勝てるはずのゲームを落とし、目標にしていたタイトルを目前で逃すこととなってしまった。
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また、日本でも同様の出来事が起きている。
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また、日本でも同様の出来事が起きている。日本のトッププレイヤーの1人で、当時まだ無冠だった[[藤田剛史]]は、[[エクステンデッド]]で開催された[[グランプリ京都00]]に[[ネクロ・ドネイト]]で挑み、その決勝で[[ミラーマッチ]]となる。相手の[[村上祐樹]]に一度敗北し、2戦目は村上が[[サイドボード]]から投入した[[ファイレクシアの抹殺者/Phyrexian Negator]](当時は、ライフ増幅相手の後押しや[[青]]相手にということで、サイドによく入れられていた)に圧され、もはやこれまでというところまで追い詰められてしまう。そんな時、村上が2体目の抹殺者を指名し[[Demonic Consultation]]をプレイ。そしてライブラリートップの6枚を取り除いてみたら…残り3枚の[[ファイレクシアの抹殺者/Phyrexian Negator]]が全てその中にあったのだ!結果村上はデモコンデスを引き起こし、藤田は命拾いをする。そして最後には藤田がそのミラーマッチを制し、初のタイトルを獲得するのである。
<!-- また反対の出来事も日本で起きている。
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常に勝者と敗者が存在するので、「反対」という表現はあまり適切ではないと思います。 -->
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日本のトッププレイヤーの1人で、当時まだ無冠だった[[藤田剛史]]は、[[エクステンデッド]]で開催された[[グランプリ京都00]]に[[ネクロ・ドネイト]]で挑み、その決勝で[[ミラーマッチ]]となる。
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相手の[[村上祐樹]]に一度敗北し、2戦目は村上が[[サイドボード]]から投入した[[ファイレクシアの抹殺者/Phyrexian Negator]](当時は、ライフ増幅相手の後押しや[[青]]相手にということで、サイドによく入れられていた)に圧され、もはやこれまでというところまで追い詰められてしまう。
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そんな時、村上が2体目の抹殺者を指名し[[Demonic Consultation]]をプレイ。
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そしてライブラリートップの6枚を取り除いてみたら…残り3枚の[[ファイレクシアの抹殺者/Phyrexian Negator]]が全てその中にあったのだ!
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結果村上はデモコンデスを引き起こし、藤田は命拾いをする。
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そして最後には藤田がそのミラーマッチを制し、初のタイトルを獲得するのである。
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==参考==
 
==参考==

2010年4月29日 (木) 19:02時点における版

デモコンデスとは、Demonic Consultation唱える際に指定したカードが無く、そのままライブラリーアウトで負けてしまうこと。

大抵はキャストした際にライブラリーのトップから取り除いた6枚の中に指定したカードが全てあったというケースである。そうなってしまっては、いくらライブラリーを捜しても指定したカードがあろう筈もなく、そのままライブラリーの全てが追放されてしまい、そのまま敗北してしまう。また狙ったカードがデッキに残っていたとしても、下から数枚のところにあったりして、ゲームを続行できなくなってしまうようなケースもある。

いずれにしても実際にこれをやってしまうと、双方ともかなり虚しいこと請け合い。

またこれが大きな大会で起こって、タイトルを左右された人間もいる。

最も有名なものは1996年8月、アメリカ・シアトルで開催されたこの年の世界選手権決勝戦での出来事である。当時(Jon FinkelKai Buddeよりも前に)「最強」と謳われたMark Justiceは、念願のタイトルまであと一歩のところまで来ていた。決勝のテーブルに三つ揃えのスーツで必勝を持って挑んだMarkであったが、1ゲームに2回もDemonic Consultationをプレイしてしまい、結果として勝てるはずのゲームを落とし、目標にしていたタイトルを目前で逃すこととなってしまった。

また、日本でも同様の出来事が起きている。日本のトッププレイヤーの1人で、当時まだ無冠だった藤田剛史は、エクステンデッドで開催されたグランプリ京都00ネクロ・ドネイトで挑み、その決勝でミラーマッチとなる。相手の村上祐樹に一度敗北し、2戦目は村上がサイドボードから投入したファイレクシアの抹殺者/Phyrexian Negator(当時は、ライフ増幅相手の後押しや相手にということで、サイドによく入れられていた)に圧され、もはやこれまでというところまで追い詰められてしまう。そんな時、村上が2体目の抹殺者を指名しDemonic Consultationをプレイ。そしてライブラリートップの6枚を取り除いてみたら…残り3枚のファイレクシアの抹殺者/Phyrexian Negatorが全てその中にあったのだ!結果村上はデモコンデスを引き起こし、藤田は命拾いをする。そして最後には藤田がそのミラーマッチを制し、初のタイトルを獲得するのである。

参考

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