渋谷DCIジャパントーナメントセンター

提供:MTG Wiki

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
 
(5人の利用者による、間の6版が非表示)
1行: 1行:
東京・渋谷の駅から10分ほどのビルの7階に存在したMagic:The Gatheringの世界的管理をしている組織[[DCI]]の日本支部。デュエルスペースとカード販売部が完備されている。現在は閉鎖されている。
+
'''渋谷DCIジャパントーナメントセンター'''は、東京・渋谷の駅から10分ほどのビルの7階にかつて存在した、[[マジック:ザ・ギャザリング]]の世界的管理をしている組織[[DCI]]の日本支部。現在は閉鎖されている。
[[The Finals]]をはじめ、数々の公式戦が行われた。
+
黎明期から多くのプレイヤー達のデュエルスペースの受け皿となったその功績は余りにも大きい。数々の伝説が作られた歴史的な会場でもある。
+
*入ってすぐのディスプレイに[[ベータ]]のコンプリートセットが展示されていた。また、会場奥には[[アラビアンナイト]]などのオールドエキスパンションも。
+
また、日本支部開設を記念して作られたこの世でただ一枚のカード「[[Shichifukujin Dragon|七福神ドラゴン]]」の現物もここにあった。
+
*[[RPGマガジン]]の「鉄人」記事などで撮影に使われたり、数々の記事に当たり前の様に登場している。ここをホームにしているプレイヤーは毎月の様に「見慣れた場所」が全国で販売される雑誌に掲載される様を見続けてきた。
+
  
平日500円、日曜・祝日は1,000円のビジター入場料が必要。
+
内部はデュエルスペースとカード販売部が完備された、まさにマジックのための場。展示物も豊富であり、入ってすぐのディスプレイには[[ベータ版]]のコンプリートセット、会場奥には[[アラビアンナイト]]などのオールドエキスパンションのコンプリートセット、そして日本支部開設を記念して作られたこの世でただ1枚の[[カード]]「[[Shichifukujin Dragon|七福神ドラゴン]]」の現物もここにあった。
会員になると月5,000円の会費を払い込むことでパスが発行され、入り口で見せるだけで入場できた。
+
毎週木曜日定休日。
+
平日は22時閉店(日曜祝日は20時)とかなり遅くまで営業していたので、会社帰りのサラリーマンデュエリストがよく遊びに来ていた。
+
*一般のデュエルスペースに比べて入場料、会費などが明らかに割高であるため、自然と平均年齢の高い会場となっていた。そのため、ショップなどに併設されている無料デュエルスペースで小学生以下の子供にからまれるのを嫌った大学生以上のプレイヤーが好む傾向があった。
+
*申請をして、一定の料金を払えば会場を借り切って独自の大会を開くことが出来た。
+
女性限定トーナメント「仙女杯」が開催されたのもこの会場。この大会には男性は参加出来ないが、スタッフとして会場入りすることが出来た。その場合には「正装」或いは「女装」が義務付けられていた(本当)。当時の[[RPGマガジン]]紙面の写真にてその艶姿(?)を拝むことが出来る。
+
  
毎日何らかの形で[[認定大会|認定トーナメント]]が行われており、夕方に手ぶらで行っても[[リミテッド]]で遊ぶことが出来た。
+
黎明期から多くの[[プレイヤー]]達のデュエルスペースの受け皿となったその功績は非常に大きく、数々の伝説が作られた歴史的な会場でもある。毎日何らかの形で[[認定大会]]が行われ、[[The Finals]]をはじめとする数々の公式戦の会場や[[RPGマガジン]]の「鉄人」記事などの撮影場所としてもよく使われた。夕方に手ぶらで行っても[[リミテッド]]で遊ぶことが可能という環境のよさだけでなく、雑誌などで有名なプレイヤーや[[ジャッジ]]を目にする機会が多いという点も魅力の1つだった。
また、雑誌などで有名なプレイヤーなどが数多くたむろしており、このゲームが好きな人にはたまらないスポットとなっていた。
+
プレイヤーは勿論のこと、[[ジャッジ]]の有名人も多い。
+
  
*海外の有名選手も、[[プロツアー]]前にふらりとやってきてデッキ調整がてら試合をしていくこともあった。[[David Price]]が、ここで[[カジュアルプレイヤー]]に[[ゴブリンの王/Goblin King]]を使われたことをきっかけに[[サイドボード]]に色対策として潜ませることを思いついた、という逸話もある。
+
平日500円、日曜・祝日は1,000円のビジター入場料が必要。会員になると月5,000円の会費を払い込むことでパスが発行され、入り口で見せるだけで入場できた。毎週木曜日定休日。平日は22時閉店(日曜祝日は20時)とかなり遅くまで営業していたので、会社帰りのサラリーマンがよく遊びに来ていた。
渋谷という土地柄なのか、外国人プレイヤーも良く見かけた。
+
  
*「若者の街」渋谷という土地柄から、会場すぐ近くに「ドトールコーヒー」「カレーショップCOCO壱番屋」「めし屋丼」などがあり、食事に困るということは全く無かった。
+
*一般のデュエルスペースに比べて入場料、会費などが明らかに割高であるため、自然と平均年齢の高い会場となっていた。そのため、ショップなどに併設されている無料デュエルスペースで小学生以下の子供にからまれるのを嫌った大学生以上のプレイヤーが好む傾向があった。
日曜祝日のトーナメント二回戦が終わったあとの休憩や、会場が跳ねた後にはデュエリストたちが大量に押しかける光景が良く見られた。ここでの与太話が元ネタになったデッキも数多い。
+
*申請をして、一定の料金を払えば会場を借り切って独自の大会を開くことができた。女性限定トーナメント「仙女杯」が開催されたのもこの会場。この大会には男性は参加出来ないが、スタッフとして会場入りすることができた。その場合には「正装」或いは「女装」が義務付けられていた(本当)。当時のRPGマガジン紙面の写真にてその艶姿(?)を拝むことができる。
 
+
*海外の有名選手も、[[プロツアー]]前にふらりとやってきて[[デッキ]]調整がてら試合をしていくこともあった。[[David Price]]が、ここで[[カジュアルプレイヤー]]に[[ゴブリンの王/Goblin King]]を使われたことをきっかけに[[サイドボード]]に[[色対策カード|色対策]]として潜ませることを思いついた、という逸話もある。
*マジック以外のトレーディング・カードゲームが流行し始めるとそれ以外を熱心にプレイしている人々も多く見られる様になってきた。入場料を支払っており、公式戦を邪魔しなければ何をプレイしても自由だった。中には[[テーブルトークRPG]]や[[麻雀]]をプレイしている人間もいた。
+
*「若者の街」渋谷という土地柄から、会場すぐ近くに「ドトールコーヒー」「カレーショップCOCO壱番屋」「めし屋丼」などがあり、食事に困るということは全く無かった。日曜祝日のトーナメント二回戦が終わったあとの休憩や、会場が跳ねた後にはプレイヤーたちが大量に押しかける光景が良く見られた。ここでの与太話が元ネタになったデッキも数多い。
 +
*マジック以外のトレーディング・カードゲームが流行し始めると、マジック以外のゲームのプレイヤーも多く見られる様になってきた。入場料を支払っており、公式戦を邪魔しなければ何をプレイしても自由であり、中には[[テーブルトークRPG]]や[[麻雀]]をプレイしているグループもあったようだ。
  
 
==参考==
 
==参考==
 +
*[[晴れる屋トーナメントセンター]]
 
*[[用語集]]
 
*[[用語集]]

2016年12月1日 (木) 03:44時点における最新版

渋谷DCIジャパントーナメントセンターは、東京・渋谷の駅から10分ほどのビルの7階にかつて存在した、マジック:ザ・ギャザリングの世界的管理をしている組織DCIの日本支部。現在は閉鎖されている。

内部はデュエルスペースとカード販売部が完備された、まさにマジックのための場。展示物も豊富であり、入ってすぐのディスプレイにはベータ版のコンプリートセット、会場奥にはアラビアンナイトなどのオールドエキスパンションのコンプリートセット、そして日本支部開設を記念して作られたこの世でただ1枚のカード七福神ドラゴン」の現物もここにあった。

黎明期から多くのプレイヤー達のデュエルスペースの受け皿となったその功績は非常に大きく、数々の伝説が作られた歴史的な会場でもある。毎日何らかの形で認定大会が行われ、The Finalsをはじめとする数々の公式戦の会場やRPGマガジンの「鉄人」記事などの撮影場所としてもよく使われた。夕方に手ぶらで行ってもリミテッドで遊ぶことが可能という環境のよさだけでなく、雑誌などで有名なプレイヤーやジャッジを目にする機会が多いという点も魅力の1つだった。

平日500円、日曜・祝日は1,000円のビジター入場料が必要。会員になると月5,000円の会費を払い込むことでパスが発行され、入り口で見せるだけで入場できた。毎週木曜日定休日。平日は22時閉店(日曜祝日は20時)とかなり遅くまで営業していたので、会社帰りのサラリーマンがよく遊びに来ていた。

  • 一般のデュエルスペースに比べて入場料、会費などが明らかに割高であるため、自然と平均年齢の高い会場となっていた。そのため、ショップなどに併設されている無料デュエルスペースで小学生以下の子供にからまれるのを嫌った大学生以上のプレイヤーが好む傾向があった。
  • 申請をして、一定の料金を払えば会場を借り切って独自の大会を開くことができた。女性限定トーナメント「仙女杯」が開催されたのもこの会場。この大会には男性は参加出来ないが、スタッフとして会場入りすることができた。その場合には「正装」或いは「女装」が義務付けられていた(本当)。当時のRPGマガジン紙面の写真にてその艶姿(?)を拝むことができる。
  • 海外の有名選手も、プロツアー前にふらりとやってきてデッキ調整がてら試合をしていくこともあった。David Priceが、ここでカジュアルプレイヤーゴブリンの王/Goblin Kingを使われたことをきっかけにサイドボード色対策として潜ませることを思いついた、という逸話もある。
  • 「若者の街」渋谷という土地柄から、会場すぐ近くに「ドトールコーヒー」「カレーショップCOCO壱番屋」「めし屋丼」などがあり、食事に困るということは全く無かった。日曜祝日のトーナメント二回戦が終わったあとの休憩や、会場が跳ねた後にはプレイヤーたちが大量に押しかける光景が良く見られた。ここでの与太話が元ネタになったデッキも数多い。
  • マジック以外のトレーディング・カードゲームが流行し始めると、マジック以外のゲームのプレイヤーも多く見られる様になってきた。入場料を支払っており、公式戦を邪魔しなければ何をプレイしても自由であり、中にはテーブルトークRPG麻雀をプレイしているグループもあったようだ。

[編集] 参考

MOBILE