Jon Finkel
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「フィンケルトロン」のあだ名の通り、ミスのない的確な[[プレイング]]が持ち味。 | 「フィンケルトロン」のあだ名の通り、ミスのない的確な[[プレイング]]が持ち味。 | ||
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フィンケルトロンは逆にプロプレイヤーの中でのあだ名です。「あいつは機械だからミスをしないんだよ」って感じかな。 --> | フィンケルトロンは逆にプロプレイヤーの中でのあだ名です。「あいつは機械だからミスをしないんだよ」って感じかな。 --> | ||
2008年2月20日 (水) 03:03時点における版
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Jon Finkel
ジョン・フィンケル。 マジックのトーナメント史を代表する、伝説のプロプレイヤー。
プロツアー参戦は第1回開催のプロツアーコロンバス96から30回を超え、 国別選手権、グランプリ、プロツアー、世界選手権、インビテーショナル、プレイヤー・オブ・ザ・イヤーと数々のタイトルを総なめにする圧倒的な入賞歴を持つ。 プロツアーベスト8通算12回は史上最多。
Kai Budde登場後は生涯獲得賞金も抜かれ「比類なきナンバ−2」となってしまったが、2005年にBuddeよりも先にマジック・プロツアー殿堂入りを決めた(Buddeは2007年に殿堂入り)。 ちなみにBuddeとの最後の勝負はプロツアーシカゴ03の準決勝である(Buddeの勝利)。→参考
長い間トーナメントシーンから遠ざかっていたが、プロツアークアラルンプール08で優勝という劇的な復活劇を果たした。
高校生の頃から周りより頭1つ飛びぬけていた。現在は190cmを越えようかという長身。 「フィンケルトロン」のあだ名の通り、ミスのない的確なプレイングが持ち味。
- 彼がインビテーショナル00で優勝した際にデザインしたカードが影魔道士の浸透者/Shadowmage Infiltratorである。
- 元々インビテーショナルでは神の怒り/Wrath of Godを多色にしてフリースペルにしたカード(Wrath of Leknif)をデザインしたが、当然のごとく(?)却下された。
- ちなみに影魔道士の浸透者の当初の名前はDark Elfkin。LeknifもElfkinもFinkelのアナグラムである。
- バスケが好き。森勝洋や藤田憲一らを集めてバスケをしたことがある。
- Chris Pikulaとのコンビで、投稿されたデッキに対し罵詈雑言を並べながら診断をしていく「こんなデッキは紙の束だ!」はあまりにも有名。デュエリスト・ジャパンにその翻訳記事が載せられている。
主な戦績
- 2008年PTクアラルンプール 優勝
- 2003年アメリカ選手権 ベスト8
- 2003年PT横浜 ベスト4
- 2003年PTシカゴ ベスト4
- 2001年PTロサンゼルス ベスト4
- 2000年PTシカゴ ベスト8
- 2000年世界選手権 優勝
- 2000年アメリカ選手権 優勝
- 2000年インビテーショナル 優勝
- 1999年PTワシントンD.C.(チーム戦) ベスト4(Antarctica)
- 1999年PTロサンゼルス 準優勝
- 1998年PTシカゴ ベスト8
- 1998年世界選手権 ベスト4
- 1998年PTニューヨーク 優勝
- 1997年PTシカゴ ベスト4
- 1996年PTコロンバス(ジュニア) ベスト4
- 1996年PTニューヨーク(ジュニア) ベスト8
- 2001年マスターズバルセロナ ベスト4
- 1998年GPボストン 優勝
- 1998年GPリオ・デ・ジャネイロ 優勝
主な使用デッキ
- ゾンビ(アメリカ選手権03 Best8)
- バベル(Magic Online)
- ファイアーズ(プロツアーシカゴ00 Best8)
- Go-Mar(マスターズバルセロナ01 Best4)
- スーサイドブラウン(世界選手権00優勝)
- フローレスブラック(アメリカ選手権00優勝)
- フォービディアン
- デッドガイレッド(世界選手権98 Best8)
- プリズン(エクステンデッド、プロツアーシカゴ97 Best4)