藤田憲一

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藤田 憲一(ふじた けんいち)は、日本のマジックプレイヤー

アメリカやヨーロッパの巨漢プレイヤーたちに引けを取らない体格を持ち、相手を威嚇するかのような表情から「悪い男」の異名を持つ。愛称はフジケン組長

目次

[編集] 経歴

マジック黎明期より渋谷を中心に活躍しており、中村聡や広木克哉(「有限会社遊宝洞」現代表取締役)と共に、日本でのマジック普及に尽力した。

日本初のグランプリであるグランプリ東京97で優勝を果たす。しかし、優勝トロフィーをうっかり落として壊してしまい(同大会19年後グランプリ東京16の生放送番組にて、このトロフィーが後に修復された事が判明している)、Andrew Finchに代わりのトロフィーを貰えるかを尋ねるものの、「またグランプリを勝ちなよ」と言われ貰うことができなかった。そして、言われたとおりグランプリ台北99で再び優勝(日本人初の海外グランプリ制覇)を果たす(参考1)(参考2)。

日本で初めて強豪プレイヤーたちが結集した集団「フジケン組」の創立者とされるが、意図的に作ったのではなく、渋谷のプレイヤーによって勝手につけられたもので、「フジケン組」たるチームはなかったと氏は発言している。氏のこわもてとその命名があいまって、暴力団の名前であるかのように一人歩きし、今でもたびたび氏をからかうネタとなっている。フジケン組長と呼ばれるのはこれが由来である。

90年代〜00年代にかけて、ゲームぎゃざなどで、コラムの執筆や初級〜中級者向けのルーリング講座のガイド役をして後進の育成に貢献。トキリンに代わり、二代目レミィの師匠として描かれた(後に単色王子ジョンにその役目をバトンタッチ)。また、プレイヤーとしても日本選手権に第1回(1996年)から11年連続出場の大記録を樹立した。

上記の功績により、2005年には最初のマジック・プロツアー殿堂の選考の際にLongtime Magic Writerとして「投票委員会(Selection Committee)」の一人に選ばれている(参考)。

現在は一線を退いているが、コラムやグランプリなどで時折姿を見ることができる。以下はその例。

現在(2013年5月16日)はホビージャパン ゲーム開発課に在籍。同社から発売された「ラストクロニクル」のプロデューサーを務める(参考)。

[編集] プレイスタイル・逸話

(特に手札破壊)使いとしても有名で強迫/Duressをこよなく愛している。本人いわく、「初手に強迫が無ければマリガン」だそうだ。

威圧感のある風貌と「悪い男」のイメージから、前述の「トロフィー破壊事件」については、後のフジケン組のネタと相まって故意に叩き割ったと認識しているプレイヤーが少なからずいる。またぴよぷー漫画における「フジケン」の似顔絵(二段目最左参考)は詐欺とまで言われることもある。

  • グランプリ東京97戦士の誉れ/Warrior's Honorの存在を利用したブラフから、「攻撃する時は、とぼけてアタック」なる迷言を生み出した(参考)。
  • 「練習しなければしないほど強い」らしい(参考)。
  • 日本選手権02サイカレスと対戦した一人でもある(参考1参考2)。
  • かつてゲームぎゃざのコラムで真木孝一郎と対談し、ふたりして「マジックよりも納豆のほうが大事」という結論を出していた。
  • セガ発売のアーケードゲーム、三国志大戦ではハンドル名「国姓爺」として上位プレイヤーの1人である。彼の構築したデッキは「国姓爺デッキ」として名を残している(参考)。
  • 残りライフ1のときに隠れ潜む邪悪/Lurking Evilを起動し黒田正城に勝利したことがある。「えっ、ライフ1のときに半分払うと残り1じゃないの?」とのこと。(ゲームぎゃざVol.58掲載コラム『サルが木から落ちる日』より)
    • カードにも書いてあるように端数は切り上げなので、もちろん起動するとライフが0になってしまう。
  • スターライト・マナバーンでは「真木老師」の対戦相手として登場。「コークスクリュー・グルグル・トルネード(略してCSGT)」を使わせる程の腕前を持っている。
  • 『マナバーン2019』でのプレイヤー・元プレイヤー同士の座談会において、「仮面使い、エストリッド/Estrid, the Maskedは絶対統率者に選ばない」と酷評していた[1]

[編集] おもな戦績

[編集] 代表的なデッキ

[編集] インタビュー・コラムなど

[編集] 脚注

  1. 『マナバーン2019』(ホビージャパン、2018年12月26日初版)p.39 ISBN 9784798618388

[編集] 参考

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