中村聡

提供:MTG Wiki

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(おもな戦績)
(参考)
56行: 56行:
 
*[[実在の人物]]
 
*[[実在の人物]]
 
*[http://yuhodo.jp/ 遊宝洞](中村氏のカードシステム設計事務所)
 
*[http://yuhodo.jp/ 遊宝洞](中村氏のカードシステム設計事務所)
 +
*[http://blogs.yahoo.co.jp/oathofspike 本人のブログ]

2008年12月30日 (火) 19:28時点における版

目次

中村聡(なかむら さとし)

マジック黎明期から「業師」としてマジック界を支えてきた人物。 NACの名前で親しまれる、日本でも有数の名プレイヤー。やたらが好きで無理やり他のデッキに緑をタッチすることもしばしば。

お茶目な帽子がチャームポイント。初めて参加した日本選手権でげん担ぎで被ったベレー帽がきっかけだとか。大会に出場するたびに奇抜な帽子をかぶっているため、海外勢からは「Hatman」の愛称で呼ばれている。ちなみに名付け親はChris Pikulaだそう。

お菓子消しゴムのカウンターもチャームポイント。

  • 海外の試合で「昨日と同じ帽子じゃないか!」とジャッジに怒られたことがある(勿論ジョークで)。
  • 2000年GP札幌決勝は袈裟姿の深田崇聖との対戦、その時の中村は魔法使いのような帽子を被っていたので、さながら「坊主vs道化師」という見た目的に色物対決と相成った。余談だが、会場に着いた時に同じ組み合わせで写真を写されていた。

デッキビルダーとしても一流で、APAC優勝時の「スパイクの誓い」は氏の代表作でもある。近年でもいまだ「新しい」デッキをトーナメントシーンに持ち込み、あっと言わせている。 本人は「コピーデッキ恐怖症」等と冗談交じりで言うが、出場のたびに何かしら新しいデッキを構築し、そしてそれで毎回結果を残していくのだから凄い。 そのデッキ構築力は海外でも知れ渡っており、氏が作るデッキを毎回仮想敵に入れているチームもあるとか。

一方で、大学在学中より自らがデザインしたカードゲームを商業ベースにのせ、三十才を前にしてクリエイターとして生きるべく銀行を退職し、平成13年にカードゲームのシステムデザインの事務所『遊宝洞』を設立、今日に至るまで数多くのゲームの設計を担当している。

  • ライター活動も行っており、マジックに限らずいくつかの著書がある。
  • 代表作のひとつとして、ブロッコリー発売のトレーディング・カードゲーム「ディメンション・ゼロ」がある。現在はともかく、発売直後に「緑」が非常に強くデザインされていたのは、マジックにて冷遇され続けてきたフェイバリットカラーの意趣返しだったのだろうか。

おもな戦績

  • 1999年インビテーショナル アジア・太平洋地区選出

代表的なデッキ

参考

MOBILE